流れと個々の現実

昔から、社会や時代の流れと個人を取り巻く現実とは別ものではないか、との思いを持っている。

 

かつてのバブルの頃、銀行は再三融資を強要してきたことがあった。必要がない使う予定がないと言えば、使わなくてもいいから借入をしておけ、皆がそうしている、と私の前に、まさに時代の流れとして迫ってきたのであった。

 

程なくしてバブルは弾けて、世間では負債を抱える人が続出で、経済は混乱し長い不況に入っていくのである。私は幸いにも借入を起こさなかった銀行の手には乗らず、運よく事なきを得たのであった。

 

この時代は大局観にたって見ればどの様に見るのか、その大局観と時代の流れとはどう考えればいいのか、何かと難しいところであろうが、当時は多くの事業者がバブルに翻弄された時代であったことには間違いがない。大きな流れであったことは確かであった。

 

国策であろうが時代の流れであろうが、金融機関や行政の助言や指導があっても、責任は全て自己に属することであり、いつの時代でも企業は自らの力で守っていかなければならないのである。

 

今の時代は、創業・起業を国策として支援していく体制を取っているが、私が起業した頃は公的な制度や支援はほとんどなかった。スタートから自己資金、自己能力、自己責任の世界であった。

 

故に、誰に指示されることもなくキャンバスに向かって自由に自分の好きな絵を書く様に、自分の思いを中心に、周囲にはあまり頼らず、人の意見はそれ程聞かずやってこられた。そして自分のスタイルを作ることが出来、いい意味で、こだわりを持つことが出来たのだろうと思っている。

 

企業は勿論のこと、個人も、国や企業が守ってくれる時代は終わった、流れを読み敏感になることは必要であるが、一方こだわりは持った、自分のスタイルを持った仕事であり、人生でありたいものである。

 

流れは一歩引いて見、大局を掴む。その上で自分は自分、現実は現実として進むことが大切なのであろう。