経営は他力本願ではなく「自力」で

昨日、親鸞聖人の生涯を書いた津本陽の「無量の光」を読み終えた。親鸞の生涯と阿弥陀仏の他力本願を説いている本である。親鸞は自力の行などを排し、ひたすら弥陀の誓願を信じて「南無阿弥陀仏」の六文字を称え、極楽浄土への往生の「他力本願」を根本教義としている。

 

親鸞は浄土真宗の祖であるが、その基となり、師である法然が開いた浄土宗の寺院の檀信徒の身であるが、その「他力本願」を説いた親鸞や法然の考えと、今取り組んでいる事業経営の世界とを比べ、似ては非なるもの感じて、ふと立ち止まることがある。

 

事業経営の世界で他力本願と言えば、資金面でいえば銀行の融資を当てにしたり、身内や知人からの借入に頼る、又公的助成の資金を漁るなどのことを言うのではないだろうか。営業面では旧来型のコネを利用したり、団体や組織を頼り、人脈の利用、偏重などが他力に当たるのではないだろうか。

 

これらのことは従来、事業経営にとっては大きな、重要な要素であった。勿論今でもそれらのことは、重要な部分であることには間違いはないが、以前ほどあまり機能しなくなったのでは、との気がしている。今後は当てにできないのではないだろうかとも思っている。

 

これからの事業経営の世界は、これらの「他力本願」ではなく常に「自力」を念頭に、すなわち銀行や公的資金などを当てにせず、営業面では発想を変え、ゼロから取り組むくらいの考えで歩まなければ、前へ進めないのではと思っている。

 

振り返れば、私の前にはそんな生き方しか出来なかったからではあるが、もう数十年、「自力本願」を基本に取り組んできた歴史が横たわっている。