「おたくの味に応たんやねえ・・・」

 

やっと見つけたその店に入った。何か洗い物をしていた店の主人がすっと顔をあげ、いらっしゃいと言い又続けようとして、「えっ」と小さな声をだして、もう一度軽く私を見上げ、見たことある人やなあという表情をしながら、仕事を続けだした。

 

その時店の奥から奥さんが出てきて、私の顔を見るなり、「あっ」という声を上げびっくりした後、懐かしそうな表情いっぱいに、どうしてここが分からはったのか、こんな遠いところへどうして、「よう来てくれはった」と言いながら、店主のほうを向き、「ほら京都の店に来てくれてはったお客さんや、私ら話はしたことなかったけど・・・私はよう覚えている」と主人に説明をした。主人も「ああそう言えば」と、少しは記憶があったようであった。

  

1年近く前、私はいつものように京都にあったその店へラーメンを食べに行った。ガレージに車を入れようとしていつもと違う様子にすぐ気がついた。いつもは必ず店の入り口付近で何人かの人が順番待ちをしているのに、その日は閑散としていた。

 

車を降り、入口の所へ行くと張り紙があり、ただ閉店することになり、郷里へ帰ることになった旨が書かれていた。非常にがっかりし、残念であったがそこに書いてある郷里の町名をきっちり覚えておいたのである。

 

京都の店では、いつもカウンターに座り、出来上がりを待つ間、手際よく麺をゆであげ作っていく光景を眺めながら店の味を作り、維持していくのは素材と技だけではなく、店主や店の人の動き、感じ取れる人柄、客に対する姿勢そして何よりも作っている姿、そんなものが一体となって作られるものではないだろうか、そのことを抜きにして味だけが出来上がり、存在していくものではないといつも感じていた。

 

そんな中から生まれてきた味が人を呼び、その客がなんとなく客としてこの店大切にしたいこのままずっと存続してほしいし、人にも教えたいし、繁盛してほしいと素直に思えるそんな店であった。

 

いつか、近くへ行ったら探して寄ってみようと思っていた。

そして今日、ちょうど仕事でその町へ行くとこになり時間を作って、探し見つけたのであった。

 

久しぶりのここのラーメンは 相変わらず本当に美味しかった。1年近く食べたいと思っていてやっと食べられたその味は感動ものであった。

 

 奥さんに何の宣伝もせずにあれだけの人を呼んだ味は京都で一番やと思うというと、「おたくの味におうたんやねえ」と自然に返ってきた。

 

おごりの一片も感じられないその言葉にこの店のこの味の真髄を見た気がした。又、人に宣伝するわと言うと。「あんまり、忙しいのは、もうええ」「食べていけたら、ええ」との言葉に商売のひとつの姿を見た思いがした。(200559日 滋賀県甲賀市甲賀 宇奈月)

 

「一つの味には・・・」

 

久しぶりに、甲賀の宇奈月へ行ってきた。駐車場が二倍に拡張されていた。さらに客が増え、繁盛している証拠である。

 

本当に久しぶりにも拘らず、それに応じた自然な対応してくれる。これは客から見て、大事なことでどんな応対をしてくれるかで、気分的にずいぶん違うもので、又行きたいと思うようになる大事な要素である。

 

いつものことだが、カウンター越しに覗く、調理場のきちっと整頓されている備品、器具類や置かれている食材から清潔感と新鮮さが漂ってくる。

 

いつものことだが、店内のご夫婦の口数は少ない。それは調理と応対に全力で集中しているためであるというのが伝わってくる。

 

気持ちのいい緊張感の中に、見事な連携と誠実な雰囲気が店に充満している。そこで作られ、出されるラーメンの味の旨い、見事である。その味は、自然で、信頼出来て、毎日でも食べたい。何よりもあと口がさわやかである。他でこんな味に、出会うことは少ない。

 

そもそも、一つの味というものが来上がるには、偶然や一つ二つの要素で簡単に作られるものではない、いくつかの要素が積み重ねられ組み合わされ、その必然性のもとに出来上がるものであるというのが、このカウンターに座っているとよく分かってくるのである(200648日 滋賀県甲賀市甲賀 宇奈月)(続き・・)(indexへ)